masa7の老・障介護ブログ

5歳の時、病気のため、心臓に「こぶ」ができ、血栓ができやすくなりました。血栓が脳にとんで、右半身マヒ。
そんな僕を介護している母が、骨折しました。
「なんとかせんとあかん」。
まわりをまきこんだドタバタ日記です。

B型事業所、楽しかったですよ!

寒い朝でした。天気予報では、明日はもっと寒くなるそうです。


それでも、僕は7:30には、家を出ました。


やっぱり、「働く場所がある」というのは、いいものです。


しばらくは、「勉強する」っていう感じです。


ワードの問題を2つ消化しました。


ワードは、ほとんど使わなかったので、新鮮でした。


早く、試験が受けられるようになりたいな。

父の記憶 パート2

「げーしょんかなわんもんが…自分のこともできんのに、人のこと、どころか?」


まず、僕が、自分のことをちゃんとできない限り、意見を取り上げてもくれません。


そんな父を、「見返してやろう」と、勉強しました。


いい成績をとると、喜んでくれました。


「お前は、勉強するのが仕事だ。一生かけられるものを見つけろ」と言って


松本清張著『或「小倉日記」伝』を買ってくれました。


この主人公のような人生を夢みてたのかな。





父の記憶 パート1

僕の父は、35年ほど前に他界しました。僕の現在の歳に、胃がんでした。


その父の口ぐせが「げーしょんかなわんもんが…」でした。意味は「力量不足のもの」です。


僕は、家から離れて、寮生活してたので、父との思い出は、少ししかありません。


でも、僕の乗り越えるべきカベとして、いつも存在してます。


小学生の時、「米の研ぎ方」を教わりました。


「ご飯が炊ければ、なんとか生きられる」とか言われた記憶があります。