或る「小倉日記」伝 PART3
「障害」者の気持ちを表現した行がある。
「耕作が自分の身体に絶望してどのように煩悶しているかは、他人には分からないのだ。ただ、煩悶して崩れなかったのは、多少とも頭脳への自負からであった。いってみればそれは羽根のように頼りない支えではあったが、唯一の希望でないことはなかった。どのように自分が見られようとも、今にみろ、という気持ちもそこから出た。それが、たった一つの救いであった。」
僕の学校の成績が、「健常」者に負けないくらいの状態だったことは、父に「将来の希望」だったのかな。
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